週末よりスノーシーズンがスタートしました。
今シーズンも多くの皆様とご一緒できますことを楽しみにしております
先日、四国遠征時の時の話ですが、
自分の記録として残したいと思ったので書きたいと思います。
私の高校2年生と、3年生の時の担任だった先生が亡くなりました。
先生が私の通う高校に赴任してきて最初のクラスが私のクラスでした。
元気の塊のような先生で、陸上をずっと行っていて、徳島マラソンにもよく出ていました。
先生はインターハイに引率してくれたり、進路を決めるときもいろいろ相談に乗ってもらいましたし、
私にとってとてもお世話になった今でも忘れられない先生です。
亡くなった原因は癌だったそうで、5年くらい闘病生活を送っていたようでした。
でも教員をずっと続けていて今もクラスを持っていたようでした。
先生の訃報を聞いたのが5日の早朝で、私が東京に戻ってくるまさにその日に告別式が行われるとのことでした。
その日は夜の飛行機だったので、お昼に高校の友達と食事をする予定を立てていました。
勿論、その友達は皆同じクラスだったので予定を変更して、皆で先生の告別式に行くことにしました。
私は人生で誰かの告別式に行ったことがなく、(その昔ちっさい頃ひいばあちゃんが亡くなった時のことはほとんど覚えていないので・・・・)
喪服も持っていなかったので、
その日、泊めて貰っていた親戚の家で叔母さんに
喪服・靴・鞄・数珠・・・・・・等すべて借りて、友だちと一緒に向かいました。
そこにはびっくりするくらい多くの人が先生に会いに来ていて、現役の高校生も多く、
本当に偉大な先生の人柄の出た告別式だったと思いました。
私と同じクラスだった子や、同級生も多くいて、私は高校卒業振りに多くの同級生と再会することになりました。
高校卒業前に、退学してしまった友達もいて、やっぱり昔先生がその子を学校にこさせようと自分のために苦労してくれたという話も今になって聞いて、やっぱり先生はすごい人だったなと改めて思うことになりました。
ご焼香の順番を並んでいるときに、
自分の順番が近づくにつれて、先生の死の現実味が帯びてきて、本当に色々なことを思い出し涙が出てきました。
参列者が多く、棺にお花を入れるのはそれぞれの代表者のみと言われたいたので、
行きたくても行けなかった私たちの話を聞いていたとなりのオジサンが。
「行けばいいよ。行ったらできると思うよ。」
と声をかけてくれたので、
私たちは向い、最後に先生の顔を見ることが出来ました。
先生は55歳とまだ若く、
痩せてはいたけど、キレイな顔でした。
昔と変わらない先生の顔を見て、また涙が止まらなくなりました。
最後に声を掛けたかったけど、先生の顔を見たら何故か何も言葉は出てきませんでした。
その後、出棺まで先生を見送り、
私の初めての告別式への参加が終わりました。
先生が亡くなったことも、告別式の日程も、全ては偶然だけど、必然だったようにも思います。
私にとっては先生の最後の授業のようでした。
先生は最後まで先生でした。
何か一つ違っていたら私は参列することは出来なかった。
最後に先生に会うことができて本当に幸せでした。
帰る時、何人かの友達と写真を撮りました!!
「あんたらな~こんなとこで写真撮るなー!」
って先生が笑って見ているような感じがしました。
「ほなけど先生が私らを会わせてくれたんじょー!!」
って心の中で返事しました。。。。
先生の分までしっかり生きたいと思いました。
会える時に会っておくことは本当に大切です。
先生と最後に会ったのは2011年の11月でした。
この時も、高松の仕事で帰っているときでした‼️
先生!
私達は、みんなそれぞれ成長して素晴らしい人生を送っています。
ずっと見守っていてくださいね😊